前編では、古代ギリシャから18世紀までの思想家たちの歩行を辿りました。後編で取り上げるのは、19世紀という産業革命の時代を生きた三人——森に分け入り、アルプスを彷徨い、自宅の庭に思索のための道を造った人々です。

機械と都市が急速に拡大していく時代に、彼らはむしろ自然のリズムに身を委ねることで、人類史的な思想を生み出していきました。

ソローとウォールデンの森

19世紀アメリカの思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、晩年のエッセイ『Walking(歩く)』の中で、「一日に最低四時間、森や丘や野原を歩くのでなければ、私は心身の健康を保てない」と書いています。

彼自身、その言葉どおりの生活を貫きました。故郷コンコードの森を毎日何時間も歩き、植物や動物、川の水位、雪解けの日付までを克明に記録し続けた博物学者でもあったのです。1845年7月4日——独立記念日——28歳の彼は、師であり友人でもあったエマソンが所有するウォールデン湖畔の土地を借り、自らの手で小屋を建て、二年二ヶ月にわたる森の生活を始めました。一日のうち数時間だけ豆畑を耕し、残りの時間を読書と散策、そして執筆に充てます。この体験は後に『森の生活(Walden)』として結晶化しました。

ソローはsaunter(そぞろ歩く)の語源を、中世の巡礼者が「聖地(Sainte Terre)へ向かう者」と呼ばれたことに求め、歩くことそのものに、世俗から離れて魂を取り戻す巡礼的な意味を見出しました。歩くことは、単なる運動でも気分転換でもなく、生き方そのものに関わる営みだったのです。

ニーチェのアルプス

哲学者フリードリヒ・ニーチェは、『偶像の黄昏』のなかで「すべての真に偉大な思想は、歩いている時に思いつく」と書き残し、「座っている尻からは、聖霊は降りてこない」とまで言い切りました。彼にとって書斎にかじりついて思索を絞り出すことは、思想を堕落させる行為だったのです。

この信念には切実な事情もありました。ニーチェは20代から激しい偏頭痛、嘔吐、視力の衰えに苦しめられ、35歳でバーゼル大学の教授職を退かざるを得なくなります。以降十年にわたり、彼は気候と標高を求めて漂泊する生活を送りました——夏はスイス・アルプスのシルス・マリア(標高約1,800メートル)、冬はイタリアのジェノヴァやニース、トリノの海岸沿いへ。

シルス・マリアで彼が借りていたのは、村の食料品店の二階にある質素な一室。朝早く起き、コーヒーとビスケットだけの簡素な朝食を済ませると、シルヴァプラーナ湖畔の松林やフェックス谷へと歩き出します。一日6〜8時間歩くことも珍しくなく、ポケットには鉛筆と小さなノートを忍ばせ、歩行の途上で降りてきた断章をその場で書き留めました。視力が極端に衰えていた彼にとって、これは書き物のほぼ唯一の方法でもありました。

1881年8月、シルヴァプラーナ湖畔をひとり歩いていた彼は、湖のほとりに屹立する巨大なピラミッド型の岩のかたわらで、生涯を貫く核心的着想——「永劫回帰」の思想——に打たれます。後に彼自身が「海抜6,000フィート、人間と時間のはるか彼方」と表現したこの瞬間から、『ツァラトゥストラはこう語った』の構想が始まりました。

座って絞り出した思想ではなく、歩きながら身体に降りてきた言葉。ニーチェの文体に独特の躍動と切迫があるのは、それが心拍と呼吸と地面を踏む足のリズムのなかで生まれた言葉だからです。彼の鋭さは、その歩行と切り離すことができません。

ダーウィンの「思索の小道」

『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンは、ロンドン郊外ケント州ダウン村の自宅「ダウン・ハウス」の敷地内に、「Sandwalk(サンドウォーク)」と呼ばれる長さ約400メートルの砂利道を整備しました。彼自身がこの小道を「my thinking path(私の思索の道)」と呼んだことから、後世「Thinking Path」の名でも知られています。

1842年、33歳でダウン・ハウスに移り住んだ彼は、隣家から細長い土地を借り受け、ハシバミ、シデ、ヒイラギ、トネリコといった在来の木々を自ら植えて並木道を造りました。道は二つの区間に分かれ、一方は明るく日の差す開けた側、もう一方は森に囲まれた木陰の側。季節や気分によって彼は両方を使い分けました。

毎日正午、午後4時、そして時には食後の三回、彼はこの小道を歩きました。フォックス・テリアの愛犬「ポリー」を連れ、銀の握りのついた杖を手にして。難しい問題に直面した日には、道の入口に石をいくつか積み上げ、一周するごとに杖の先で一つずつ蹴り倒していったといいます。難問の日は「five-flint problem(石五つの問題)」と呼んでいたそうです。

進化論というアイデアは、決して一瞬の閃きで降ってきたものではありません。ガラパゴスのフィンチを観察してから『種の起源』を刊行するまで、ダーウィンは20年以上にわたって観察と推論を重ね続けました。その長い熟成の時間を支えたのが、毎日繰り返された砂利道の往復だったのです。歩きながら問題を解きほぐすこの習慣は、人類史的な発見を静かに育てた土壌でした。

身体を動かしながら、考える

時代も国も違うこれらの思想家に共通しているのは、思考を机の上だけで完結させなかったことです。視界を変え、リズムを生み、身体を運ぶ。その動きの中で、まだ言葉になっていない着想がゆっくりと形を成していく。

カントのように毎日同じ時間に。ルソーのように一人で。ソローのように簡素な生活と歩くことを。形はそれぞれでいい。歩くという行為そのものが、私たちの内側にある思考の力を、静かに呼び覚ましてくれます。

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